憲法九条を守りぬこう   ―教え子を再び戦場におくるな―

 

女高師 理二十八(昭和十五卒) 山 村 ふ さ                                                                       

 

 わたしは今年九月十日に満九六才の誕生日を迎える。なんとすごい年まで生きているとわれながら感心している超老境である。

 

九十才という卒寿を迎えたとき、まず車の運転をとりやめた。三重学退職女教員の会の会長もやめさせてもらった。現在名誉会長。

 

そして、

 「卒寿超え なおいきいきと 暮らす日々 天の恵みに 讃歌をおくる」などと、いい気になって週四回のデイサービス通いをたのしんでいる。

 

 のんびりと過ごしていたらある日、CBC放送から取材の申し込みが入り、車で名古屋まで連れて行かれ、なつかしい鶴舞公園の中の公会堂に待機していた戦争を許さない名古屋女性の会や私立中学の生徒のグループに短い挨拶をした。(昨年の)九月十一日夕方六時に放送され、なかなかの反響があった。

 

このことは今から十年前に設立した「いせ九条の会」を私たち十人ほどのグループが熱心に人集めをし、二〇〇人の参加を得てその後順調に発展をつづけている、この設立総会に招いたイケズミさんという講師が、当時問題になった自衛隊のイラク派兵を憲法違反として名古屋地裁に提訴…、その裁判の証人として私が指名され、法廷に立った。

 

 私の陳述は、

 

 …戦争中は、それが何たるか知らされず、ただ黙々と、学業をやめてせっせと軍需工場へ通いつづけた。学校側ではこれを、生徒を守り通したとほめたたえ、月給の二段とび…戦争協力者であった…

 

 この陳述をイケズミ氏は各氏に配布、これを知ったCBCのスタッフが取材にふみ切ったのだった。この反響に接して、私もまだ世の中のお役に立つことがあると思いなおすことになった。

 

 さらに安倍内閣の危険な動きに対して県下の九条の会の結集が計画され、私は、いせ九条の会の代表として呼びかけ人に指名された。この三重県連合は高田本山の常盤井さんを代表として、多くの結集をみ、これからきびしい闘いに入る。

 

 日教組の活動を一貫してやってきた私は、その日教組のメインスローガン「教え子を再び戦場に送らない」は至上命令である。はげしい国民運動がいよいよこれから…年をとったなんて言ってはおれない、できる限りのことで多くの国民とひとつになって闘いぬかねばならない。

 

 奈良女高師を卒業したことを誇りとする私たちは、こどもたちを守ることがしごとである。そのもっとも大切ないのちを守ることこそ使命というべきであろう