今年度の佐保会三重支部主催公開講演会は、伊賀が松尾芭蕉の生誕地ということもあり、早川由美さんに「松尾芭蕉-人としての教え-」と題して、お話していただきました。早川さんは伊賀上野の芭蕉顕彰会研究員及び奈良女子大学博士研究員をしておられます。講演会には、佐保会会員以外に十五名の参加がありました

まずはじめに、芭蕉翁行脚之掟(芭蕉の言葉と信じられていた言葉)の抜粋を紹介していただきました。一宿一飯の恩に預かった人のことをおろそかにしない一方、媚びへつらう事なかれ。自然を敬って、ものの命をとる事なかれ。魚鳥獣の肉を食べるより、野菜を食べる方がよい。分相応に暮らすべし。人が求めていないのに自分の句を出すべからず。人に問われていないのに自説を説く、また問われているのに答えないのは良くない。人に物を教えるのは己をなした上ですべきである。など芭蕉の生き方がうかがえます。

  その掟の中に、女性の俳友に親しむべからず。師にも弟子にもいらぬものなり。ともあります。しかしこの部分は、実際の芭蕉の姿ではないことを、早川さんは羽紅と智月という芭蕉の二人の女弟子に関する資料から明らかにされました。

智月は芭蕉より十歳程度年上で、大津の荷問屋川合左衛門の妻。羽紅は俳人凡兆の妻で芭蕉より二十歳近く年下。二人とも出家しています。二人は『猿蓑』の梅若菜の歌仙に参加しています。それまでは歌仙は男女別に巻いたそうですが、この歌仙は初めて男女が同じ座で巻いたものだそうで、芭蕉の革新的な一面が表れています。

     餞乙州東武行

    梅若菜まりこの宿のとろゝ汁    芭蕉

    かさあたらしき春の曙       乙州

    雲雀なく小田に槌持比なれや    珍硯

        (略)

     雀かたよる百舌鳥の一声      智月(裏八)

     雛の袂を染るはるかぜ       羽紅(挙句)


このように最後の七・七の句を芭蕉は女性の弟子に任せています。

また、智月・羽紅に宛てた芭蕉の書簡を何通か紹介していただきました。書簡の文字は女性宛ということで、ほとんどひらがなで書かれています。筆まめな芭蕉は、自分の病を気づかってくれた礼を述べ、俳句の添削もしています。二人の女弟子と親しい間柄であり好意に甘えている様子がわかります。俳句を志す者として、芭蕉は女性ということで差をつけることはなかったのです。

今回の講演会で今まで知らなかった松尾芭蕉の人となりを知ることができました。

 伊賀上野の芭蕉翁記念館では、松尾芭蕉真筆の書や俳句の短冊・色紙など貴重な資料が展示されています。伊賀へお越しになる時にはお立ち寄りください。

      伊賀地区委員